浄土真宗の教え・葬儀・焼香のマナー・仏壇の選び方

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浄土真宗とは

浄土真宗は、親鸞(しんらん)によって開宗された宗派で、日本仏教の現在において、最も信者数の多い宗派です。「浄土宗」と「浄土真宗」はどう違うのか疑問に思う人も多いかと思いますが、根本的な教えは変わりません。親鸞の師である法然(ほうねん)が開いたのが「浄土宗」で、その弟子、親鸞が開いたのが「浄土真宗」ですが、「南無阿弥陀仏と唱えることで極楽浄土へ往生できる」という浄土信仰を中心とする教えは基本的に同じです。 また、浄土真宗は「在家仏教」であるため、妻帯も肉食も禁じられていない点が他宗派との大きな違いでしょう。したがって、浄土真宗の僧侶は、他宗派の僧侶と比べて、僧侶というよりも信徒のリーダーであり儀式の執行役という立場の方が意味合いとしては近く、こうした背景もあってか、浄土真宗には、私たち一般生活者に近い親しみやすさを感じさせる僧侶が多いのかもしれません。 ここでは、浄土真宗とその開祖である親鸞の教えや、浄土真宗の葬儀におけるマナーや仏壇の選び方などについて紹介しています。

浄土真宗の開祖「親鸞」

開祖である親鸞は、平安後期の1173年に下級貴族の子として生まれ、9歳で出家して比叡山で修行を始めます。 この頃の日本は、平安から鎌倉への転換期であり、世の中の統治は武家政権へと移り変わった時期で、都には、疫病や飢餓に苦しみ倒れていく人の屍で溢れ、そこら中に死臭が漂い、誰もが「この世は地獄」と感じる世の中でした。 また、最澄が比叡山で開いた「天台宗」が朝廷と関係が深い「名門」とされており、貴族や豪族などの、環境に恵まれた一部の者だけが仏教を学べるという状態で、誰もが修行に励むことができるような社会背景ではありませんでした。 当時において仏教を学ぶということは、いわゆる人生のエリート街道でもあったため、最下層の農民などと比べて、身分の高い家柄に生まれた子どもが親の期待を背負って仏門へと送られケースが多かったのです。実際、空海や最澄、そして親鸞の師匠であった法然なども地方豪族の出身でした。

常に法然と共にあった親鸞

親鸞は比叡山で修行に励みながらも、煩悩まみれの自分に気付き、思い悩みます。そしてとうとう29歳のとき、比叡山を下りる決意をしました。この頃、先に比叡山を下りていた旧友と再会を果たし、法然上人の元へと辿り着きます。 親鸞は、「身分に関係なく念仏を唱えればみな平等」と大衆に教えを説く法然に惹かれ、真剣に仏法を聞く日々を送ります。 しかし、民衆を中心とした専従念仏の広がりは、旧仏教界からの反感を買い、念仏の弾圧が強まります。当時の権力者「後鳥羽上皇」のお気に入りであった2人の女官が法然の専修念仏に帰依・出家したため、大変な怒りを買い、親鸞は法然と共に越後(現在の新潟県上越市)へと流罪に処されてしまいます。これが「承元の法難」と呼ばれる出来事です。 しかし、僧籍もはく奪され、師匠である法然とは別の地に送られながらも、「この地で人々に阿弥陀仏の本願を説く機会を得られたのも法然上人のおかげ」と感謝し、越後の人々に仏法を説いて回りました。

浄土真宗の教え

浄土真宗の教えは、その根本思想は法然の浄土宗と同じですが、親鸞の教えとしては、4年かけて書き記した「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」にその教義が込められています。 そして、親鸞の教えの中でも、法然とは決定的に異なる点として「自然法爾」という重要な考え方がありますが、この世の全てを「縁=阿弥陀仏の働き」と考え、修行に励むことなど一切のあがきを捨て阿弥陀仏の本願を信じ、自然に身を任せるというもので、この鸞の教えは、日本仏教の中でも「釈迦の思想に最も近い」考えを示していると言えます。 また、浄土宗は「念仏を唱えれば極楽浄土へ生まれ変わって救われる」という考え方ですが、親鸞の浄土真宗では「念仏を唱えれば誰もが生きながら救われる」という考え方です。どんなに修行しても「自力では悟れないし救われない」という「絶対他力」の思想が特徴です。 また、ひたすら念仏を唱える「専修念仏」についても、浄土宗はこれを「修行として南無阿弥陀仏を唱える」と位置付けているのに対して、浄土真宗では「口から発せられることそのものが阿弥陀仏のはからい」とし、ここでも「絶対他力」を徹底していることが表れています。

「悪人こそが救われる」の意味

さらに、浄土真宗の重要な教えとして「悪人正機」というものがあります。悪人こそが救われるという考えですが、これを初めて聞く人は誤解しがちですが、これは決して「悪行を重ねた人間の方が救われる」という意味ではありません。 ここでいう悪人とは、「煩悩だらけの罪深い己を自覚している人」のことで、これに対して「善行をしているから救われると信じている人」を善人と定義しています。絶対他力を本質とする浄土真宗の教えでは、「罪深い人間だと自覚した人間こそが救われる」という訳です。

浄土真宗で読まれるお経

浄土真宗の葬儀で読まれるお経は、「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」で「浄土三部経」と総称されるものです。阿弥陀経では、阿弥陀仏が住む国「極楽浄土」がいかに素晴らしい世界であるかを説く内容が書かれており、また「無量寿経」では「阿弥陀仏とは何か」という阿弥陀仏の正体や本質についてかかれています。そして、観無量寿経には、阿弥陀仏や極楽浄土、阿弥陀仏の本願について、物語の形式で書かれており、浄土宗、浄土真宗の葬儀では中心となるお経として読まれます。

浄土真宗葬儀の特徴と焼香のマナー

浄土真宗の焼香マナーとしては、他宗派と同じく回数は1~3回の間であれば特にルールはなかったり、「焼香台の前で一礼して香を香炉へ移す」という作法が一般的ですが、他宗派と異なるのは「香を押し頂かない」(=額の高さまで上げずに香炉へ移すだけ)という点です。 また、浄土真宗の葬儀は、他宗派に比べてかなり特徴的と言えます。例えば「清めの塩を使わない」ことは割と知られていますが、これは「死は決して穢れたものではない」という考えから来ており、同様に、「遺体に守り刀を置かない」ことや「枕団子も置かない」ことも、浄土真宗では「死者は死後すぐに極楽浄土へと召されて成仏するため、冥土への旅路という概念がない」考えに由来しています。しかし、これらは親鸞の教えとしてある訳ではなく、あくまで浄土真宗の葬儀においての慣習として行われているものです。

仏壇の選び方や置き方、お供え物について

浄土真宗の仏壇選びも、他の宗派同様にどんな仏壇を選んでも問題ありません。また、金仏壇を選ぶ習慣があるのも浄土真宗ならではといえるでしょう。 また、浄土真宗では仏壇に水をお供えしません。これも「故人は既に水の湧き出る極楽浄土に住んでいるから必要ない」という考え方によるものです。

まとめ

浄土真宗は、身分に関係なく、南無阿弥陀仏と唱えるだけで誰もが救われるという、シンプルな教えであるからこそ多くの人に広まりました。その分、地域によって仏事マナーも様々です。親鸞やその教えについて知識を得たことで、浄土真宗への理解がより深まったのではないでしょうか。

宗派別 教え・葬儀・焼香のマナー・仏壇の選び方

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浄土宗の葬儀

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